生きている人

なんとか生きています。

あなたは人を許せますか?











あなたは人を許せますか?





私の親は教師です。
父も母も教師です。

この世には教師の子供=頭が良くないといけないと思ってる人が少しだけいます。少なからず私の父と母はそうです。そのプライドを強く持った父と母に20年間育てられました。

ですが20歳になった今の私は高校を留年した高卒の人間です。大学にも行っていません。だからといってそれが恥ずかしいことだなとは思いませんが、周りの人間はそれが恥ずかしいことだと言います。

そんな私は4人兄弟の3番目に生まれました。
4歳からピアノと水泳を習い始めました。
5歳から学習塾に通い始めました。
物心着いた時から親戚や祖母から天才だと言われ育ちました。いずれ学者になれると小さい時から言われ続けました。しかし親からは褒められた記憶はなく、少しでもダメなことをすると叩かれ、叱られることが多々でした。

そして小学生になり親からの目は更に厳しくなりました。
親戚の集まりには行かせて貰えず、祖母と会う機会も減りました。テストの点や成績が良くても礼儀や習い事が疎かになると「何故そんな簡単なことが出来ないの?」「できて当たり前」「恥ずかしくて見てられない」ひどい時には「本当に何も出来ない子だ」と言われました。

祖母にかわいい鉛筆を買ってもらうとそのままゴミ箱行きになりました。変わりにトンボ鉛筆や三菱の鉛筆を渡されました。今では使い勝手の良さは分かりますが、当時はそれが悲しくて仕方ありませんでした。

机の引き出しの中に友達から貰った手紙やプロフィール帳、可愛いメモ帳を隠していてもバレれば勉強と関係ないと言われ、引き出しごと引っこ抜かれ、中身をまるごとゴミ箱に入れられました。

友達から漫画を借りれば「人から絶対にものを借りるな」「漫画を読むと馬鹿になる」と言われ、ひどい時には破り捨てられました。もちろん買って返すお金もないのでその一件から周りから疎まれ、友達も減りました。

小学2年生のある日何を思ったのか隣の席の子の筆箱を盗みました。何故盗もうと思ったのか正直覚えていません。毎日を真面目に必死に生きる私の筆箱はとても質素で、隣の席の子の筆箱はとても可愛く鉛筆も消しゴムもキラキラしていて、しかも全部にかわいい鉛筆キャップまでついていました。頭もそんなに良くないのにチヤホヤされて、可愛い服を毎日着ていました。そんな可愛い子の筆箱を盗みました。その日はまず先生にとても叱られました。お前は泥棒だと、絶対に許されないことをしたと言われました。親には顔も見たくないと言われ、叩かれ、玄関の前で3時間正座させられました。

その日がきっかけだったのでしょうか、ある日から突然私は宿題をちゃんと提出できない人間になりました。学校は家に比べれば怖い空気もない楽しい所だったので授業も聞けましたし、ノートも取れました。ですが宿題に触れることがとてもしんどくなりました、宿題=家でやるという認識がいけなかったのでしょうか、宿題をしなければいけない、家に帰らなければいけない、あの家にいなければいけない、私はあの家で生きなければいけない。そう考えただけでお腹が痛くなったり涙が出たりしました。家に帰るのが怖くて家の近くで座り込んでいると隣の家の人が心配しておやつをくれ結局親に連絡してしまい、親にはまた人様に迷惑をかけたのかと叱られました。

また数ヶ月後のある日学習塾で先生に呼び出され、テストが全部満点だったよと褒められました。とても嬉しくてその日は家に帰るのも少し気持ちが楽でした、なのに家に着いたら叩かれました。「同じ塾の子が先生に呼び出されるとこを見たと言っていたがどういうことだ」と叱られました。その子の親づてで聞いたのでしょうか。なんて情報網だと思いました。なぜ呼び出されたのかと聞かれたので満点を取ったから褒められたと言っても聞いてもらえず、悪い事をしたなら正直に言えと何度も何度も叩かれました。その時はさすがに理不尽すぎるととても悔しく思い、その事を塾の先生に相談したら先生はすぐに親に連絡をし、事情を説明してくれました。
これでちゃんと褒めてくれると思ったら、今度はママ友の集まりのような所で、「呼び出しくらったらしいから叱ったら実は褒められてたみたいで〜」と笑いのネタにされました。これほどの屈辱はないと思いました。

そしてまたある日、小学4年生の頃でしょうか、
上から2番目の兄、次男が学校に行かなくなりました。
起立性調節障害だと言われました。朝起きれない障害です。でも兄は昼になっても起きず、ずっと部屋に篭っていました。上級生からお前の兄は引きこもりの障害者だと言われました。同級生から遊びでもなんでもない時に水をかけられました。机に悪口を書かれました。
私が何をしたんだろうと思いました。

あまりにも腹が立った私は、朝から布団に篭もって出てこない兄の布団を引き剥がし蹴っ飛ばしました、当たり所が悪かったのか兄は口を怪我してしまい、母にお前は私の子じゃないと殴られ、追い出されるように家を出ました、めちゃくちゃ朝から泣きましたが少しスカッとしていました。その日は上機嫌だったので男子から黒板消しを叩きつけられても叩きつけ返し、嫌味な噂話をする女子が座ろうとした椅子を引いて尻餅をつかせました。

それからは授業中に人の数倍手を挙げまくったり、いじめてくる女子の私服を可愛いと褒めたり、中途半端にイジろうとしてくる男子に大声で相槌を打ったり、相手の予想しない返し方を考えたり不意をついたりを何度も何度も繰り返していくうちにいじめてくる人間はいなくなっていました。そして小学5年生で初めて友人と呼べる存在が出来ました。(今後はAと呼びます)Aとは20歳になった今でも遊んだり連絡を取っています。


小学6年の時、次男を受け持ったことのある先生が担任になりました。
何故かやたらと心配されました。
家庭環境を探られるようなことを定期的に聞かれました。
この時素直に相談すれば良かったのかもしれませんが、先生を不審に思ってしまった私は大丈夫ですと言い続けていました。
あまりにもしつこく聞いてくるので、その時家族から阻害されるような扱いを受けていた私は、「親が私のことを分かってくれない気がする」と言いました。
すると個人懇談でその事を親に言われ、家に帰ってからお前の考えてることなんて分かるわけないだろと当たり前のように叱られ、しまいには泣きながら勘当したいと言われました。

中学に上がる手前、長男が突然家から居なくなりました。
結局理由は分かりませんが今でも長男とは殆ど連絡をとっていません。

そして中学生になりました。
中学でもAと仲良くさせて頂き、私は運動部で友人は文化部でしたが、休みが被れば一緒に遊び、休憩時間などもお話したりしていました。ですがお互い同じ高校に行こうという話はしませんでした。なぜならその子は絵が描くのが好きで勉強が苦手で、私とその子では得意分野が全く別でした。親のスパルタのせいで嫌々ながらも勉強を続けた私は5教科の成績はやたらと良く、偏差値の良い高校に行くんだろうと周りから言われ、本当は歌や絵が好きだったので芸術の学校に行きたいなと思っていましたが、その道に進めば馬鹿になると言われ続けて育ってしまったので本当にそうなのではと少し信じてしまっていた私は親に進められた高校に進学を決めました。

その時Aに「あなたは自分がない、親のために生きてるみたい」と言われて絶望しました。

好きな絵をいっぱい描いて好きなように生きるAはとても輝いて見え、ただ成績がいいだけで特技も好きなことも何も無い私は濁って見えました。

やりたいことは無く、親にために生き、いじめや家庭環境などの予測不可能な苦難を乗り越えるために必死に生きてきただけ。一生懸命生きてきたはずなのに自分がすごくちっぽけに思えました。
でも好きな事ってどうやって決めるんだろう、好きなことってなんだろう、好きなことが分かったとして親は許してくれるのだろうか、好きだと決めてそれを続けることは出来るのだろうか、そもそも好きなことってなんだ?
自分で決めるという意思があまりにも欠如していた私は悩み続けました。これに関しては未だに答えが出せません。
自分で自分のやりたいことも決められない私は、結局どこかで親が責任を取ってくれるのでは、決めてくれるのではと思っているのではないかと悩まされました。

そして高校生になりました。

高校1年の時、事件が起きました。
次男が夜中にガスの元栓を開けてライターを床に叩きつけようとしたのです。変な匂いに起こされ嫌な予感がした私は台所でライターを持った兄を見つけ必死に止めました。親は喧嘩しているのかとビックリして起きてきました、その後状況を把握しとてもショックを受けていました。
次男は鬱病と診断され、そのまま入院させられました。
次男のPCには親に対する恨みや、親をどう殺すかについてのメモが大量に残っていました。そしてそのメモの中には家を燃やすという無理心中の計画も残っていました。

誰も死ななかったのに私はそこで死をとても身近に感じました。そして何故生きてるんだろうと思いました。

ここに書ききれないほど色々なことを乗り越えてきました。偉人の名言に励まされてまだ諦めてはいけないと何度も何度も壁を登った時もありました。ですがその壁の殆どが自分で決めた目標でも夢でもなく、他人に無理やり作られた血みどろのトゲだらけの壁でした。そしてそんな苦難な人生もまた他人が簡単に強制終了出来る脆いものなんだと気づきました。

死んだ方が楽になれることに気づいてしまいました。

テレビでいじめられて自殺した小学生の話を聞き、死んで楽になれて良かったねと思いました。

私も生きることから逃げたい、この世に存在しなかったことにして欲しいと毎日考えるようになりました。

それからは抜け殻のような毎日でした。
学校に行くのも嫌になり自転車で行けるところまで行ってとあるタワーの展望台でボーッと1日過ごす日もありました。死にたくても死んだ後にあの親に文句を言われる気がして、死にませんでした。

そして高校は最終的に留年しました。
先生や親にも度々怒られましたが、何度叱られてももう耳には入ってこず、勉強しなきゃという意思も出せず、行動を起こす気にもなれず、ただ起きて、時間には必ず家を出て、学校に行く日もあれば、学校とは違う所に行って時間を潰す日もありました。

何故そうなったのかと聞かれても、答える気力も残っていませんでした。

説明したところで、親身に応えてくれる人などいないと思っていました。

小さい時から辛い思いを沢山してある日突然スイッチが切れてしまったと言ったところでその話を信じて手助けが出来るような人間はこの世にはいないのだと。

だからといって私にも自力で再起動する気力は残っていませんでした。

さすがに親に無理やり退学させられるかと思いましたが高卒だけは持っていて欲しかったらしく、留年して、なんとかギリギリ卒業しました。

去年20歳になりました。
今年で21歳になります。
やりたいことはなく、フリーターをしています。
アルバイトも辞めれるなら辞めたいですが、お金が無いので続けています。
親とは同じ家に住んでいますが、もう何ヶ月も口を聞いていません。前に話しかけても無視をされたのがきっかけでそれから全く口を聞いてもらえていません。
それでも今日を生きています。

私の親は悪い親なんでしょうか?

もう親を責める気力はありません。

あなたの人生は楽しいですか?

人生とはどういうものなのでしょうか。

好きなものはありますか?

やりたいことはありますか?

あなたは人を許せますか?